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沿革

東亜工業株式会社歩み続けた80年の軌跡
創業者(畠山秀松氏)の言葉に「ライオンのタテガミでなくても、鳥のトサカで良い」というものが残っています。 「大企業でなくとも、中小零細企業でも大企業なみの生活が出来れば良い」という創業者の気持ちの現れです。 会社の成長が社員の生活向上につながり、地域社会の発展にも貢献しようとした思いが詰まった言葉です。
沿革
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創業経緯
福井県出身の畠山秀松が関西大学卒業後、大阪にて農業用肥料販売会社・日本カルシウム肥料合名会社に勤務。 その後販路拡張の為、全国肥料組合関西支部に一手販売を依頼したるに端を発し、 関係研究所より仕入先である滋賀県醒ケ井の日本石灰工業(株)(神門一郎:福井県出身)の原石を分析の結果、 優秀な評価を受けた。 そこで畠山・神門は同郷であった事と、関係研究所より事業化推奨の事もあり新会社を設立する意向を固めた。

会社設立当初の工場
会社設立当初の工場

石灰採取場
石灰採取場

1935年(昭和10年)2月
会社設立
資本金40万円にて「東亜工業株式会社」を設立。住所を畠山の自宅・大阪市東住吉区西今川とし、 年長である畠山秀松を初代社長に、年下の神門一郎を取締役工場長としてスタートした。 設立当時、畠山は29歳・神門25歳であった。主力商品は農業用肥料「苦土石灰」と、 京都帝国大・松本博士の監修する「工業用石灰」である。戦時中は近畿軍需監理部の令下に直属した。 終戦後は「工業用」「建築用」「農業用」石灰を製造・販売した。

神門一郎
後右:神門一郎

1952年(昭和27年)
大阪窯業セメントの躍進に貢献
滋賀県への工場誘致第1号として大阪窯業セメント(現在の住友大阪セメント) が伊吹町へ進出、その立案仲介者として畠山秀松が大きく寄与し、同社と深い関係になった。
1953年(昭和28年)1月
大阪窯業セメントの特約店に
昭和28年1月、大阪窯業セメント(現在の住友大阪セメント) の伊吹工場竣工と同時に大阪府・滋賀県の特約販売店となる。
1953年(昭和28年)4月
長浜営業所開設
滋賀県長浜市内の飯田商店2階 (現在の長浜市元浜町)に開設。
1961年(昭和36年)9月
長浜支店、新社屋完成
新社屋が滋賀県長浜市平方町に完成、移転。
1965年(昭和40年)6月
福井営業所開設
福井県福井市大手に営業所開設。 同時に、大阪セメント(株)(現在の住友大阪セメント)の 福井県特約販売権を取得。
1966年(昭和41年)2月
敦賀営業所、開設
福井県敦賀市本町2丁目に営業所を開設。
1967年(昭和42年)7月
草津営業、所開設
滋賀県草津市下鈎に営業所を開設。(2013年[平成25年]5月、閉鎖)
1969年(昭和44年)5月
湖北大阪生コンクリート(株)、設立
大阪セメント(株)(現在の住友大阪セメント)との協同出資により、 グループ会社として設立し、滋賀県の湖北地区の生コンクリート供給基地・営業権の委譲を受ける。

湖北大阪生コンクリート(株)、設立

1973年(昭和50年)11月
沓水誠禧、代表取締役社長に
沓水誠禧が、
2代目代表取締役社長に就任。
1990年(平成2年)9月
寺村徳三、代表取締役社長に
寺村徳三が、
3代目代表取締役社長に就任。
1991年(平成3年)5月
東亜建設株式会社、設立
グループ会社として東亜建設株式会社を設立。建設部門を独立させる。
1991年(平成3年)9月
金沢営業所、新開設
石川県金沢市北安江3丁目に営業所を開設。 (2005年〔平成17年〕12月、閉鎖)
1993年(平成5年)3月
八日市営業所、新開設
滋賀県八日市市中野町に営業所を開設。 (2001年〔平成13年〕11月、閉鎖)
1993年(平成5年)3月
長浜支店、新社屋完成
新社屋が滋賀県長浜市平方町に完成、移転。
長浜支店、新社屋完成
1995年(平成7年)7月
福井営業所、新社屋完成
新社屋が福井県福井市江端町に完成、移転。 福井営業所、新社屋完成
2007年(平成19年)12月
東京出張所、開設
東京都江東区東陽町に出張所を開設。
2010年(平成22年)9月
沓水文男、代表取締役社長に
沓水文男が、
4代目代表取締役社長に就任。
2011年(平成23年)10月
東京出張所、移転
東京都中央区小伝馬町に出張所を移転。
2014年(平成26年)1月
本社、移転
本社登記を長浜に移転致しました。
2015年(平成27年)2月
会社設立80周年
会社設立80周年を迎えました。